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鷲ゼミの木



現役生からの応答

 アーレントフェス(と勝手に呼んでおります)、拝読して思うところがあり、二点書かせていただきます。
一つは政治の話題について、もう一つは沈黙の意味についてです。
双方併せて「語らない人」の立場をめぐって考えたことです。

 今回の文脈で言われていた「議論」の対象として挙がるのは、第一には「政治の話題」であると受け止めました。
 政治に関して「語らない人」が積極的にならない/なれないその理由の一つは、「政治を語る言葉は、時にどうしようもなく人を分断するから」、ではないでしょうか。
 政治的に議論の対象となるような話題というのは、そもそも意見が割れるから議題になるわけです。そして先輩のお話にあったように、人々というのは全員違う存在です。わたしがAが正しいといったって、Bが正しいという人々、Cが正しいという人々、Dが正しいという人々がいるのです。そしてこのときの「正しい」という言葉は、「普遍的真理である」という意味ではなく、「わたしにとって都合がいい」という意味に過ぎません。わたしがAを主張するのは、わたしが所有する知識を動員して論理的思考をした結果であるだけではない。わたしの立場や状況からすれば最も都合がよいのがAである、ただそれだけのことです。BがCがDが正しいと「論理的に」説得されて、意見を変えることはあまり起こりません。そういうことが起こるのは自分に関係の浅い問題くらいのものです。立場も状況も違う人々が集まって社会をつくっているということが原点であるからこそ、合意形成のしようがない事態は生じると思います。
 しかしながら、このことをふまえた上で、AにもBにもCにもDにも届く言葉というのが、時折存在します。ABCDの対立よりも上の次元にある言葉です。誰もが見落としていた盲点に気付いたり、みんなで揃ってしていた間違いが指摘されたりなど、そういうことはたまにあります。このような言葉は一番視野の広い人が提起することがあるでしょうし、最も幼い人による質問をきっかけにして導かれることもあるかもしれません。
 ただしもう一つ付け加えることがあります。みんなには届かない言葉をも発するべき状況もあるということです。それはたとえば、行き過ぎた強者の行いを、残りの者達で束になって止めるべきときです。強過ぎるメカゴジラの暴走には対処しないと困ります。

 次に二点目、沈黙の意味についてです。

 「強い」人の声は大きく、「弱い」人の声は小さい、あるいは聴き取ることが出来ない。「弱い」人はむしろ発言をためらいがちである。これは負け戦を好んでする人はいないとすればある意味当然の事態かと思います、無謀も臆病もいずれも勇気とは呼ばれません。議論の場のフェアネスが必ずしも保障されていない場合、小さな声の聴取は、困難で繊細な問題です。
 ですが、一つ目を向けておきたいものがあります。それは沈黙です。
 議論の場、言葉の世界では、沈黙は「ないもの」のように扱われてしまうことがあります。しかし、「沈黙は『ないもの』なんかでは断じてないんだよ」というこのことは、何よりも大事なことであるように思われるのです。言葉にならないものにも意味がある。沈黙や感情は、必ずしも他人に伝わるように言語化できるものではない。それはわたしだけのものだったり、わたしに影響を与えるにも関わらず自身の所有物になっていないものかもしれない。沈黙や感情のままならなさに振り回されることもあるかもしれないけれど、言語化できないものを抱えることは、ひとりひとりがオリジナルなものとして存在する人間の基本であると思います。言語化できないゆえに苦境に立たされる時というのは、本人が未熟なのかもしれない。あるいは、熟していないのは、本人ではなく、公共世界の方かもしれない。公共世界が狭くて不寛容であれば語りたくても語れません。その意味では、人を不当なあり方として「弱く」あらしめる世界の幼さや矛盾を告げ知らせるものとして、「弱さ」は現れるのかもしれず、その克服によって何かが発展するのかもしれません。

 以上、散逸的かつ未熟そのものですが修行の途上のつもりです、ご容赦ください。蛇足ですがハイデガーの考えのけしからんことのない特徴は、沈黙と感情の重要視にあるかと思っております。
 今回の議論で何人かの現役生が刺激を受けたことを確認いたしましたことをご報告いたします。何よりも自分自身がその筆頭です。ゼミブログでの饗宴開催、どうもありがとうございました。またいつでもご開催くださいますように。今年度中にゼミでもアーレントフェスをしたくなってしまいました。もし実現しましたら、その際にはご助言いただけますとさいわいです。

山下
by washizeminoki | 2013-12-16 22:11 | 鷲ゼミ生の訴え
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だが汝は、ここへと逸れて来たからには学ぶがよい、ただ死すべき身の知恵が活動しうる限りのことを。 

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