ーー「二度目」などというのは、どこにも存在しない、というのが私の言い分だが、それは言い換えれば、演劇をふくむあらゆる表現は、何事をも「複製」しない、ということである。ーー
(寺山修司、『時代のキーワード』)
ーー反時代的なものは、どこか喜劇的だ。そして、喜劇的なものほど、悲しくなってくる。ーー
(同上、『墓場まで何マイル?』)
【2013年度春学期 第8回鷲山ゼミ】
・日時:6/27(木) 18:00~21:00@1C
・参加人数:計5名(途中入退場あり)
・内容: 西村さんの個人発表、石川さんの個人発表
さて、まず西村さんのアドルノ研究について振り返りたいと思います。
西村さんは「卒業論文制作にあたって」という題のレジュメを出してくれました。
まず、私が理解したかぎりでの研究動機は以下の通りです。
卒業論文では、アドルノの論文「音楽と絵画の諸関係について」を中心的に扱う。
この論文において、以下のような根源的な問いが提出される。
「時間芸術としての音楽と空間芸術としての絵画とは、時間と空間という別次元に存するにも関わらず、なぜ諸芸術の各分野として並列に論じることが出来るのか」という問いである。
この問いをめぐる思考において、「収斂」という概念が重要となる。
この「収斂する」という述語はどのように用いられるか。これは、音楽や絵画、諸芸術を主語とする。本論文においては、人間の想像力が関わることが出来ない芸術の自律性が問題となってくる。
また、そもそもなぜ音楽と絵画の関係を考察しようとするのか。それは発表者本人の音楽体験(演奏、レッスン、鑑賞など)に由来する。実際のレッスンの場において、音楽と絵画が結びつけられることはいわば常識となっている。たとえば、演奏者がドビュッシーを演奏しようとした場合、勉強のために美術館で印象派の絵画を鑑賞することが推奨される。しかしながら、以上のように音楽と絵画を関連づける行いの根拠が、明瞭に言語化されているとはいいがたい。「ドビュッシーを演奏するために、なぜ印象派の絵画を求めるのか」という問いに対して、歴史的事実や伝統を指摘して回答することははたして十分であるだろうか。
「音楽と絵画がいかに関連するか」という問いに対し、明確な根拠をもって答えることは難しいかもしれない。しかし以上の問題について、アドルノが音楽美学の観点から出した結論を考察することは可能である。音楽と絵画の歴史的事実を参照した上でこの論文の解釈を行いたい。
以上が「発表のはじめに」に書かれていた内容の概略です。
また発表では、「音楽と絵画の諸関係について」の冒頭部分の原文と試訳、卒業論文の構成およびその一節を提示してくれました。
私は今回の発表を聞いて、「一番深い疑問点にもっと思いっきり立ち止まってしまってもいいのではないか」と思いました。私自身が同じことを他の場で指摘されましたが、私達には、通り過ぎることの出来ない場所を徹底的に掘り下げることが許されているのではないかと感じています。
たとえばアドルノの「収斂」という用語についてです。私はゼミの席での発表を聞いた後、いまこのブログを書くためにレジュメを見直すまで、「収斂」の意味をまったく誤解していました。レジュメによれば、この語は「音楽や絵画、諸芸術」を主語に置くとあります。私は、「音楽と絵画とを「収斂」させるのは人間である」と思い違いをしていたのです。「「収斂させる」のが人間でなくて、他のなにものであり得るだろうか」と思っていました。しかしながらレジュメを読み返せば、「本論文においては、人間の想像力が関わることが出来ない芸術の自律性が問題となってくる」とも書いてあります。「人間の想像力が関わることが出来ない芸術の自律性」とは一体何なのでしょうか。何の手がかりもなしには、私にはこの問いを考え始めることも出来ないように思います。
少なくとも私には、この「音楽と絵画の諸関係について」という論文には、およそ常識に反したことが書かれていると思われてなりません。そして、だからこそ読む甲斐があるというものでしょう。自分の持っている常識などたかが知れているという思い、これこそが、私達の卒業論文への取り組みを後押しするものであり、それこそゼミに足を運ばせる力ともなっているものではないでしょうか。
それにしても心底興味深いテーマです。今後の展開が楽しみです。楽しみすぎて自分でアドルノの当該テキストを読みたくなりますが、翻訳がないということで西村さんの苦労が殊の外しのばれます。応援しているので、続きをまたがっつりと聞かせていただければと思います。気になります。
なお補足として、九鬼周造の『文学概論』には、マックス・デソワール(Max Dessoir)による諸芸術の分類表が示されていることをお伝えします。この表では、諸芸術(絵画、彫刻、劇、文学、模様、建築、工芸、舞踊、音楽)が「事物的/非事物的」「模倣的/非模倣的」「再現的/表現的」「客観的/主観的」、「アポロ的造形芸美術/ディオニュゾス的・ミューズ的芸術」、「空間芸術/空間時間芸術(運動芸術)/時間芸術」「二次元/三次元/視覚/視角聴覚/知覚(音)/想像(言語)」などの区分でもって分類されています。もし興味があるようでしたら、今度持って行きますので声をかけてください。
次に、石川さんの発表についてです。
論文の研究テーマ1
「ベルリン・クロイツベルクのエスニック景観から考察するヨーロッパにおけるアジアへの「まなざし」」(仮)
論文の研究テーマ2
「日本におけるヨーロッパからの「まなざし」の受容・体現にいたるまで」(仮)
石川さんは候補を2本示してくれました。しかしながら彼女が持つ問題意識は、完全に一貫したものです。彼女の批判精神をここに書くことは何となく差し控えます。直接聞くのが一番だと思います。
さて来週の内容は、
・ニーチェ『ツァラトゥストラ』輪読(鍋島さん担当)
・個人発表(清水さん)
です。よろしくお願いします。
山下
(2013.7.1記)